今回お邪魔する事業者さん
・半田中央印刷株式会社
・所在地:愛知県半田市潮干町1-21
・創業:1886(明治19)年
・従業員数:43名
2025年の「印刷会社」って何を作っているの?
工場が集積する半田市亀崎地域の工業団地の一角にある、半田中央印刷。
社内を案内しながらお話を聞かせてくれたのは、社長の竹倉幹雄さんです。歴史を感じる印刷機や印刷物が展示された社屋1階から階段を上がると、2階のオフィスで従業員の皆さんが働いていました。


現在従業員は40人ほど。SPSと呼んでいる営業、デジタルマーケティング、制作(クリエイティブ、DTP)、生産管理、総務、生産の6部門があり、必要に応じて外部クリエイターなどにも協力を仰ぎながら、事業が行われています。現在は特に、SPS、デジタルマーケティング、制作の3部門で採用を行っています。
社名の通り、印刷会社。世の中が紙からデジタルへと移行する中で斜陽産業では?と心配になりますよね。失礼ながら竹倉さんにその辺を聞いてみると「今はweb広告が事業の柱の1つになっています」と返ってきました。
「2020年ごろから、本格的にデジタル部門の強化を始めました。と同時にマーケティングの視点を持った印刷会社になろうと考えました。でも漠然と考えているだけでは、何も動かない。僕が具体的にやったことは、“デジタルマーケティング部を作ること” “web広告の運用を柱にすると決めたこと” “必要な教育を受けさせること”の3つです」
そこから数年を経て今では、「カタログやチラシの印刷をする会社」からずいぶんと幅を広げ、「お客様の販促をトータルにバックアップをする企業」に。「芯に“印刷”があるからこそ、それといろんなものを組み合わせることでできることがある。それが今の印刷業の面白さだと思います」と竹倉さんは話します。

地域のイベントも作っちゃう!
何かイベントを行おうとしたとき、開催を知らせたり、当日首尾よく運営したりするために、チラシや案内などの制作物が必要となります。だから必然的に、印刷業は地域のイベントと結びやすいという側面があります。そういう意味では、イベント好きな人や地域を盛り上げたい人にも魅力ある職場かも。さらに半田中央印刷では、イベント自体も作っちゃうというから、驚きです!
半田市周辺の方々、数年前に突如「はんだオープンファクトリー」という斬新なイベントが始まったのを覚えていますか? 製造業を多く含む半田市の事業所が、一斉に見学や体験を提供するもので、初回は12社参加で始まりました。
「私も子どもが小学生ぐらいだったら連れて行きたかったです」と話すと「あれ、僕が呼び掛けて始まったんですよ」と竹倉さん。半田市がやっているのかな?と思っていたイベントが、地域の想いある一事業所の声から始まっていたとは!


「2015年に1枚のポスターを見かけて、新潟県にある燕三条という地域のオープンファクトリーを見に行ったんです。金属加工が盛んな地域で“工場の祭典”という名前でした。現地で話を聞いてみると、それまで量販店に納品したり中国に安価で輸出したりしていたのが、ドイツの職人さんたちが買いに来てくれるようになったそうで。町が積極的に海外にまでイベントをPRしたこともあってですが、それにしても可能性をたくさん秘めたイベントだと思いました。“現場を見せる”ということが、価値を伝える手段のひとつになることは間違いないと感じたし、従業員にとっても自分たちのやっていることを言葉にして伝えようと努めるのは、大切なことだと」

その後竹倉さんは、行政や商工会議所、観光協会などに向けて、熱意とともに企画を伝えます。コロナ禍などもあり、すぐに実現には至りませんでしたが、やがて開催できることに。「1度目を行った後の見学者さんたちのアンケート回答が本当に良くて、忘れられません。中でも、子どもに半田のこういう場を見せられて良かったという、小学生の親御さんの回答が多くて。これは事業者のためにもなるし、将来半田で夢をもって働いてくれることにつながる、卵を育てる事業にもなっているなと手ごたえを感じました」
明治時代の制作物を発見!
半田中央印刷が印刷業を始めてから、2026年で140年になります。戦後新聞配達が始まったころに、広告制作を当て込んで印刷業が増えたことを考えれば、明治時代に事業を始めていたのはかなりの早さ。その頃の事業を伝える“ある物”を、国立国会図書館の公開データから、ある日竹倉さんは見つけます。
「これ、分かります? 西洋の言葉でいう“インチ”“ヤード”などの単位が、日本の単位にするとどの程度のサイズを示すのかが書いてあります。これを僕の先祖が書いて出したんですよね。“各国貨幣度量衡対照録”という題名で。明治10年ごろに本木昌造さんによって西洋活字が日本に入って来た頃です。つまり昔は本を作って出すという、出版社的なこともやっていたんですね」


新しい単位が大量に入ってきて、その単位を使う暮らしに変わっていく過程で、どう置き換えれば良いか分からず困った人や企業は多かったことでしょう。「それを感じて社会のために必要なものを作った。そのマインドは素晴らしいと思うし、受け継いでいきたいなといつも自分の心にも置いています」
幼少期は紙とインキの匂い
半田中央印刷は、竹倉家の家業として受け継がれてきた事業。竹倉さんが子どものころは半田商工会議所のある通りに印刷所があり、その隣の家に住んでいたそうです。「家に帰ると、隣の印刷所から紙やインキの匂いがしていました。それに包まれて育ったからか、子どものころから本を読むのは好きでしたね。文章を書いて表現するのも好きでした。話すより書くことの方が得意でしたね。と言うと文学少年みたいですが、いやいや、子どものころから水泳をして、いつも真っ黒に日焼けしていましたよ(笑)」
中学生のころに日本の農業の未来に危機を感じ農業を志すも、数学がてんでダメで文系に進学。大学では法学部で国家賠償法を学んだといいます。「専門は水害発生時の賠償法について。国による賠償についてはこれまでのデータをもとに規定があるのですが、僕はそれを環境問題とつなげて考えてみた。地球環境が変わっている中で、今の形は正しいのか。あれこれ調べてひとつずつ結論をつけていくのが好きだなと感じました」
就職は出版社。この頃、家業を継ぐという意識は特になかったそうです。「純粋に、文字をさわるのが好きという理由で選びました。その後元社長である父親の体調などもあり、印刷会社での勤務を経て、地元に戻ります」。27歳で半田中央印刷へ。2017年に社長に就任しました。

敬いの気持ち忘れず社会のために
「この会社には、優しい人が多い気がするし、自分もそうした風土ができるように心がけています」と話す竹倉さん。「風土は、人から人へと受け継がれてできるもの。一朝一夕でできるものではないだけに、大切だと思っています。例えば、従業員には、お客様を敬う気持ちを大切にしてほしいと伝えています。具体的な心掛けとしては、ご本人がいないときや社名を口にする時でも、呼び捨てにしないこと。小さな習慣の中から心の持ちようは育っていくと思いますから」
取材時に案内されたスペースには人工芝が敷かれていて、靴を脱いで上がりました。ナチュラルな木のデスクを囲むのは、赤が基調となるスノーピークのチェア。「リラックスした雰囲気で、柔軟に打合せができるように」という従業員発案のスペースだそうで、大きなモニターも設置されています。こんなところにも「良い雰囲気で前向きな話ができるように」と考える優しさと、その案を良しとした社長の度量が感じられます。

「10代の頃から今まで変わらない思いは、地域のいち企業として、社会の役に立ちたいということ。それを印刷業という立場から、どのように実現できるかをよく考えて、実行すること。僕も“貨幣度量衡対照録”の精神を忘れないで、事業に励んでいきたいと思います」。そう、それはまさに半田中央印刷のキャッチコピー「『伝える』を通して、社会と人の役に立つ」に、くっきりと現れていました。
